「E.G.コンバット」(1〜2巻)

E.G.コンバット〈2nd〉 (電撃文庫)
E.G.コンバット (電撃文庫)

ルノア・キササゲ。21歳。北米総司令部最年少大尉。生成晶撃破数歴代7位。月より舞い降りしワルキューレ。反応速度の女神。男性ファン多数。女性ファンも多数―そんな“英雄”にやっかんだ先輩が裏で画策して、彼女は月に戻されることになった。与えられた任務はなんと自分が卒業した訓練校の教官。そして初めての“教官任務”に緊張する彼女を月面で待っていたのは、訓練校始まって以来の落ちこぼれと言われる5人組だった…。抱腹絶倒の“闘い”の日々が始まる ―『メタルスレイダーグローリー』の☆よしみるが原作者としての本領を発揮!SFコミカルストーリー登場。


秋山氏のデビュー作「E.G.コンバット」の1,2巻を古本屋で見つけ、即購入。この作品、4巻で完結の予定だったのですが、3巻が99年に出てから10年近く経った今でも4巻が出ていませんw ファンの間ではいまだに4巻の出版を待ち望む声が多数という、人気作にして問題作。完結する可能性が非常に低い作品を今になって読むのもどうかと思うのですが、秋山作品で読んでいないのがこのシリーズだけになってしまったということもあり、せっかくなんで読んでみることに。…ちなみに、この作品は絶版ではないらしいのですが、新刊ではまず手に入りません。古本屋のラノベコーナーを見てもほとんど見つからなかったので、今から手に入れるためのは難しいかもしれません。私も2巻までは手に入りましたが、3巻を読めるのはもっと後になりそうです。


さて感想。なにより思ったのは、良くも悪くも、デビュー作の時点で秋山瑞人秋山瑞人だったんだなぁということ。幾つか挙げてみますと…


1. 独特の文体
2. みっちりと描かれるディテール
3. 爆笑のコメディー
4. 持ち上げて突き落とす
5. 未完w


とりあえず、上記の1.〜2.について書いてみます。


一つ目の「独特の文体」について。これは秋山氏の一番の特徴といってもいいでしょう。例えば2巻で出てくる以下の表現なんかは、あまりにも秋山なんですよ。このシーンは、主人公の女性教官ルノアの教え子達が、初めて実戦に巻き込まれたときの描写です。状況を説明すると、GARPは乗り物で、操作しているのは5人の教え子。ダッシュの部分がルノア教官の言葉になります。

…コントロールを失ったGARPは、三機以上のスラスターが開くという危険な状態のまま、高速度で転倒


―もう!昨日もやったでしょ!?起動中にシステムがダウンしたときは―


しなかった。突然、五人の手が機械のように動いた。…


この文章は、「高速度で転倒」まででいきなり途切れてしまいます。通常なら「転倒した。」と句点で終わるところを「転倒」で区切ることで、まさに転倒しそうな状況だったことがイメージできます。そして、そのギリギリのところでルノア教官の教えを思い出し、五人がGARPの姿勢を立て直した、という一連のシーンが、生き生きと描写されています。これと似たような描写は、例えば最新刊「DRAGONBUSTER」にも見られます。

行く手に現れる辻を気の向くままに右へ左へと折れて、ぐるぐる回る「思い出しの姫君」は市場の奥へ奥へと入っていく。闘鶏の土俵、証文の代書屋、饂飩の屋台、魚の量り売り、八百屋、床屋、濁酒の立ち飲み、鋳掛屋、面屋、


面屋。


月華は足を止め、竹棚に掛けられた色とりどりの面に目を輝かせた。


この文章でも、月華(ベルカ)が市場の様ざまな店を眺めて歩いて(走って)いる描写を「面屋、」で止めています。月華(ベルカ)が面屋を見つけて一気に興味を引かれていることがよくわかるシーンですね。


以上のように、一つの文章を途中で区切ってしまい、句点で終わらせない、というのはよく秋山氏が使う手法なんです。いわゆる「正しい日本語の表現」ではありませんし、好き嫌いはあると思います。秋山作品を初めて読んだときには、私も確かに違和感はありました。しかし、慣れてくるとこの文章のノリがやけに癖になる!また実際に、こうした文章が、一つ一つのシーンを印象的に描き出すことに成功しているように思いますね。特に、上記のように「動き」を描写するときには有効な書き方であると感じました。


二つ目の「みっちりと描かれるディテール」について。この作品の舞台は月面訓練校で、そこにはなぜか女しかいないw とてもラノベチックなおいしい設定…、悪く言えば「都合の良い」設定なのです(この設定は原作である漫画版のものらしい)。その理由も、地球を侵略してきた宇宙生物「プラネリアム」が特に女を襲うため、女達を月に逃がしたというのだからどうにも説得力がないw しかし、実際に作品を読み進めていくと、この都合の良い設定にしっかりとしたリアリティーを感じるのです。


なぜかというと、ディテールが異常なほど細かく書かれているから。訓練校の設定なんかでも、訓練生達が着る服に始まり、イジメの話だの、員数合わせ(参考:http://hirayan.okigunnji.com/backnumber/55.htm)の話だの、書かないでもところまでまぁみっちりと書き込まれていること。また、そうした文化が、教官であるカデナの訓練生時代にもあったという点が、カデナと教え子達とをつなぐ役割をしていたりしている。こうした細かなエピソードの一つ一つが、この「都合の良い」世界観を立体感のある「リアル」なものにしているんですよねぇ。
そしてこの点についても、最新刊「DRAGONBUSTER」と共通します。「DRAGONBUSTER」は中華ファンタジーで、設定はすべて空想のもの。にもかかわらず、ある地方の料理の辛さだったり、または城壁の由来についての説明だったりと、メインとなるストーリーとは直接関係性のない部分にまでやたらと詳細に描かれているんですよね。そして、それが架空の世界をより立体的でリアルにしている点も同様です。


もっとも細かすぎるのが玉に瑕で、「E.G.コンバット」では軍隊やテクノロジーについてのあまりにもマニアックな話については、全然理解できなかったりするのですが。。。また、せっかくの「女だらけの訓練校」というおいしい設定にもかかわらず、あくまでも軍隊的な、品のないエピソードばかりが語られるもんだから、笑っちゃうくらいにキャラクターたちに色気がないw この作品、秋山作品の中でも一番「おいしい」設定であるにもかかわらず、もっとも萌え要素の薄いのではないだろうかw


以上、秋山瑞人はは最初からもう秋山瑞人だったというお話でした。最初からすげぇ筆力を持っていたんだなぁと感心する一方、秋山は何を書いても秋山なんだなぁと感じたところも少しあります。意外性には少し欠けるか。もっとも、作品数が少ないため、意外性のある実験作を出してそれが面白くなかったら、ものすごいガッカリするんだろうけれどw やはり秋山氏には、寡作でもいいから得意技で全力投球で書き抜いて、しっかりと物語を「完結」してもらうことを期待しましょうw 「E.G.コンバット」だって、これだけ面白い作品を完結させないなんてありえないですよぅ。イラスト変えてハヤカワ文庫で1〜3巻を再出版して、満を持して完結編の4巻を出すとか、そんな展開を希望します!…まぁ無理だろうけどw