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今年の7月に乙一の「失はれる物語」が文庫化されました。
この本は,角川スニーカー文庫から出版された3作の短編集から
幾つかの作品を掲載しています。
ここでは,「失はれる物語」の元ネタになっている3作品,
「さみしさの周波数」「失踪HOLIDAY」「きみにしか聞こえない」を紹介します。
角川スニーカー文庫で書いていた頃の乙一は,よく「再生」の物語を書いています。
いわゆる「せつなさの達人」といわれていた頃ですね。
だめな主人公が不思議な体験をとおして再生する,という展開がほとんどで,
ともすればワンパターンなのですが,わかっていながらも,読んでいて心に響くものがあります。
その理由の一つが,成長しないけれども再生するという独特な書き方だと思います。
何かをきっかけにして成長し,難局に立ち向かう,といった力強さはまったくありません。
だめなまま,でも少しは前を向いて,といった具合の「再生」です。
押し付けがましさやわざとらしさがないところに,共感できる部分があるのだと思います。
もう一つが,心理描写が巧みなため,感情移入して読めることです。
はっきり言えば,落ち込んでいるダメ人間の描き方があまりにもうまい。
「ダメ人間」にも色々な種類があると思いますが,乙一の書くダメ人間は
消極的で,社交性がなく,自分に自信がなく,落ち込みやすくて…,って,僕のことですねw
というか,絶対に乙一自身なんだよなw
…少なくとも,こうした傾向のある人がスニーカー時代の乙一作品を読めば,
身につまされる部分がかなりあるのではないかと思います。
そんなわけで,スニーカー時代の乙一作品の中から好きな作品を幾つか。
せっかくなので「失われる物語」に掲載されていない作品を紹介します。
私が大好きなのは「さみしさの周波数」に掲載されている「未来予報」。
とにかく素晴らしい。あらすじを引用すると…
「おまえら、いつか結婚するぜ」――未来を「予報」されてしまった僕と彼女は、それきり視線を合わせられなくなった。
そして数年後、再会した僕らは?胸にしみる乙一流ファンタジー!
もう,小学生時代にこんなこと言われたら,絶対にその子と話さなくなるよなぁ…。
わかる人には死ぬほどわかる感覚ではないかと思うのですが。私だけかな?
この設定だけで勝ったも同然ですが,「清水」との微妙〜な関係の描き方もいいです。
とにかく感動してしまいました。心に残ったのは次の部分。
未来には不安が待ち構えている。過去には後悔がたたずんでいる。
人生を送るというのは,どんなに難しいことなのだろう。
ああ,だめなぁ,乙一は…。
次は「きみにしか聞こえない」に掲載されている「華歌」。
あとがきでは「スニーカーの読者対象に合わないかも」ということを書いていて,
確かにそのとおりかもしれません。
でも,それならぜひ「失はれる…」に入れてほしかったのですがねぇ。
この話は,ラストにサプライズが待っていて,私は見事にだまされてしまいました。
ただ,ここでのサプライズはただ驚かすためだけのものではありません。
この話では「人の顔の形をした華」を主人公達が愛し,育てるのですが,
なぜ彼らはこの華に魅かれ,愛していたのかが,最後の部分で納得できます。
ここでだまされてから,乙一作品は慎重に読むようになりましたねぇw
ライトノベルのレーベルですが,角川の夏のフェアーで取り上げられているので,
今なら手に取りやすいと思います。
「失はれる物語」を読んで気に入った方は,ぜひ手にとって見てください。