「檸檬のころ」

いっそ痛いと思った、その痛みだけは思い出せた。
かっこ悪くて、情けなくて、でも忘れられない瞬間がある。
田んぼと山に囲まれた、コンビニの一軒もない田舎の県立高校を舞台に綴る、
青春の物語。


つまらないわけではないんです。けど,何か一つ物足りない感じが…。
初めて読む豊島ミホの「小説」は,そんなイメージでした。


この作品は,以前に読んだエッセイ「底辺女子高生」と対になっています。
「底辺女子高生」は著者自身の高校時代の出来事を綴っているのに対して,
檸檬のころ」はフィクションの高校生を描いています。
しかし,「檸檬のころ」の舞台のモデルは豊島氏自身の通っていた秋田のど田舎で,
ところどころに出てくるエピソードも実話に基づいていることなどから,
この作品も「底辺女子高生」と同様に,著者の高校時代を基にした青春小説と言えるでしょう。
…そのはずなんですが,私は「底辺女子高生」は面白かったのですが,
檸檬のころ」はすんなり入っていけませんでした…。


原因の一つは,短編小説であるために少し物足りなく感じてしまうということだと思います。
これはもう,私の好みの問題としか言いようがないんですが…。
伊坂幸太郎乙一のように,短編の中で一つ仕掛け(伏線)を作っておいて,
最後にサプライズを持ってくる,というやり方であれば短編もありなんですが,
青春小説の場合だと,キャラクターへの感情移入が重要になってくるので,
短編だとちょっと短い気がしてしまいます。
「底辺女子高生」も一つ一つの話は短かったですが,すべてが豊島氏の高校生活の話なので,
全体で一つの話になっていたため,短くて物足りないという感じはなかったですね。


原因の二つ目は,出てくるエピソードが「底辺女子高生」のほうが面白いということです。
いや,小説より実話のエピソードのほうが面白いと言うのも何なんですが,
でも「底辺女子高生」のエピソードのほうが印象に残るものだったと思います。
電車で一緒になる先輩コンビ(「通学電車の先輩へ」),ハエの交尾(「学際の絶望」),
はたまた冷やし中華の紅しょうが(「紅しょうがの夏休み」)…。
地味だけども印象に残るこれらのエピソードたちは,かなり魅力的でした。
こうした印象に残るエピソードが「檸檬のころ」の中にも出てくれば,
物語にリアリティが出てくるような気がします。
…もしかしたら,私はこの作品の作り物っぽい感じが苦手なのかも。


原因の三つ目は根本的なところで,二つの作品のコンセプトの違いです。
「底辺女子高生」のあとがきによれば,「底辺女子高生」は青春時代の
「負の部分を思いっきりやってやれ」というコンセプトであるのに対して,
檸檬のころ」は「あくまできらきらしたところを掬う」話だったということです。
で,私の好みがどちらかといえば,明らかに「底辺女子高生」だったわけですw
「底辺女子高生」は,確かに自虐的で愚痴っぽい感じではあるけれども,
等身大の女子高生の本音が描かれていて,興味深く読めました。
檸檬のころ」ではそういう興味があまりわかなかったのかなぁ。


とまあ,私がこの作品に物足りなさを感じた原因を挙げてみると,
大体が個人的な好みの問題ばかりですね。
そして私としては,豊島氏には「負の部分」を描いた小説を期待してしまいます。
それが彼女の作品の本筋ではないのかもしれませんが,
「底辺女子高生」で見せたダメ〜な雰囲気は,誰でも書けるものではないと思うので。