「魔王」

「小説の力」を証明する興奮と感動の新文学
不思議な力を身につけた男が大衆を扇動する政治家と対決する「魔王」と、静謐な感動をよぶ「呼吸」。別々の作品ながら対をなし、新しい文学世界を創造した傑作!


ここ最近私が読んでいた本は,面白いんですがどうもパンチ力に欠けるなぁという感じでした。しかし,今回読んだ伊坂幸太郎「魔王」はガツンとくる作品でした。いや,「犬養」とかいう固有名詞が出てくるあたり,まさか現代小説だとは思っていなくて,なんとなく敬遠していた感があったのですが,もっと早く読めばよかった。感想はネタバレ無しにはかけそうにないので,思いっきりネタバレありです。


この作品の大きなテーマの一つは「ファシズム」ですし,その扱い方が気に入らない方にとっては読みにくい本だと思います。私自身,大学で比較政治学とかいう授業にハマっていたこともあり,そう簡単に現代日本ファシズムの危機には陥らないだろうと言う考えです。ただ,ここではそうした部分は抜きにして,純粋にエンターテイメントとして本作を扱わせていただきます。というか,このサイトのスタンスが「小説=エンターテイメント」なので…。


伊坂氏といえば,基本的には「ミステリ作家」です。実際,作中でいろいろと用意した仕掛けに対して,必ず何かしらの答えは出している方だと思います。まぁ,いわゆる伏線を回収しない,というタイプの作家さんではありません。なので,私が読みながら期待していたのは,「腹話術でどのように犬養(ファシズム)に立ち向かい,奇跡を起こすか?」という点でした。しかし,安藤兄(こう書くと,先日JRA騎手免許を取った某騎手みたいだw)は結局,なにもできずに死を遂げます。期待を裏切られた私は,普通だったらがっかりしていたはずなんですが,この見事な「死に様」に対しては何の文句もありませんでした。そして,この「死に様」を見て,「腹話術」は奇跡を起こすための仕掛けではなく,安藤兄の非力さを示すための仕掛けだったのかなと思いました。


考えてみると,「腹話術」というのはあまりにも力がなく,ファシズムどころか犬養という政治家一人に立ち向かうにしても非力すぎる能力だと思います。作中で安藤兄が腹話術を利用したのも,老人に「てめえは王様かっての,ばーか」と言わせたり,男に「さっさと部屋でセックスしようか!」と言わせたりといったくだらないことばかりで,世界に対して何ら影響を与えていません。「ドゥーチェ」で安藤兄が考えた,「腹話術」の能力を試すための5か条にしても,能力が効力を発揮する範囲が30歩程度くらいの距離だったり,TVに映った人間には効力を発揮しなかったりなど,ほとんどが「腹話術」の能力が限定的なものであることを示すだけでした。私は「伊坂ならこの限定的な能力だけで見事に奇跡を起こし,世界を変えるんだろうなぁ」と考える反面,この程度の能力でファシズムを食い止めるために犬養の演説会場に向かう安藤兄には,どうしても感情移入できない面がありました。


しかし,安藤兄が瀕死の状態にもかかわらず「腹話術」でファシズムと対峙しようとし,その結果倒れていく姿に対し,素直に格好良いなと思いました。非力な超能力では犬養の演説を止めるなどということは,まったくできませんでした。あれだけ考えに考え抜いても,「腹話術」でファシズムをとめる方法は思い浮かばなかったわけです。しかし,それほど非力であっても,安藤兄は自分の信念である,次の言葉に従って行動したのです。

「でたらめでもいいから,自分の考えを信じて,対決していけば」
「いけば?」
「そうすりゃ,世界が変わる。」


結果的には世界を変えることなく敗北してしまいましたが,信念に従って行動した結果の死ですから,その姿は格好良いですし,訪れる死は安らかだったのでしょう。少なくとも,安藤兄にとって,彼の人生は悪いものではなかったはずです。


そのほか,死ぬ間際になって思い出す宮沢賢治の詩の使い方や,必死で犬養を止めようとして島の「巨乳」や「女子高生」という発言を思いついてしまうばかばかしさとむなしさ,そして「魔王」のラストを飾る詩織の口癖「消灯ですよ」など,エピソードやセリフの使い方が抜群にうまいです。この辺りの計算しつくされたうまさは,まさに伊坂氏ならではですね。


ちなみに,「魔王」は素晴らしかったですが,「呼吸」はちょっと消化不良。伊坂氏が結論を書かないで物語を終わらせると言うのはちょっと想像できませんでした。やっぱり最後に,安藤弟が何をするのか書いてほしかったなぁ。