「悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記」

「世界の悪者」にされNATO空爆にさらされたユーゴ。ストイコビッチに魅せられた著者が旧ユーゴ全土を歩き、砲撃に身を翻し、劣化ウラン弾放射能を浴びながらサッカー人脈を駆使して複雑極まるこの地域に住む人々の今を、捉え、感じ、聞き出す。特定の民族側に肩入れすることなく、見たものだけを書き綴る。新たに書き下ろした追章に加え、貴重な写真の数々。「絶対的な悪者は生まれない。絶対的な悪者は作られるのだ」。


サッカーファンの友人と,サッカーファンでもなんでもない友人の二人にずっと薦められていた作品。サッカーファンでもなんでもない私としては,興味はあるけれどちょっと手を出しづらい作品でした。ただ,「自壊する帝国」を読んでから国際政治っぽい話を読みたくなっており,その流れでこの作品を読みました。
…いやはや,これはすごい。サッカーなんて一ミリも知らない私のような人間でも,民族問題等に興味のある方であれば是非読んでみてください。いや,そんなことに興味ない方でもこの作品の「凄さ」を十分に感じられるだろうと思います。


■取材の原動力
国家が分断されるということをサッカーという視点で見ると,代表チームが徐々に解体されるということです。実は私自身,アテネオリンピックの男子バレーボールの決勝をなんとなく見ていたとき,旧ユーゴ(当時はすでに「セルビア・モンテネグロ」だったと思います)のバレーを見て感動した覚えがあります。早いトス回しと強烈なアタック,そしてなによりどんなに打ち込まれて喰らいついていくレシーブで,ロシアを下して優勝を決めました。このとき以来,なんとなくバレーを見ているときはセルビア・モンテネグロをひいきにしているのですが,もうセルビアモンテネグロも分離してしまいました。もちろん,セルビアだけでもモンテネグロだけでもよいチームは作れるのでしょうが,あのアテネで見たセルビア・モンテネグロのバレーを見れないと思うと,なんとなく残念に思う気持ちがあります。
対して著者は,ユーゴスラビアサッカーの黄金期からユーゴサッカーの虜になり,その代表チームが民族独立とともに解体されていくのをまざまざと見せ付けられてきたわけですから,取材のモチベーションがあがるのも少ーしだけ理解できる気もします(もちろん,私はこんなことできませんが…w)。この「プラーヴィ」(ユーゴ代表チームの愛称)への愛情が,紛争地帯もものともしない取材の原動力となって,この作品ができあがったのでしょう。そして,この作品の何よりも魅力は,この著者の執念にも似た取材力であることは間違いありません。


■「悪者」セルビア人側から見たユーゴの解体
とはいえ,ここに記載されていることはサッカーのことだけではありません。この作品は,ユーゴの解体を,セルビア人の視点で,サッカーを軸にして描いたルポルタージュです。この作品の大きな特長は,「常に悪者とされてきたセルビア人」の視点で描かれているということでしょう。ユーゴサッカーの虜になった著者は,旧ユーゴのサッカーに関わる様々な人々を取材していく中で,「悪者」セルビア人という世間に広められたイメージに対して疑問を呈します。
民族浄化」を行っていたのはセルビア人だけなのか?本作を読むと,クロアチアなどセルビア人が少数となる国では,セルビア人に対して「民族浄化」がなされていたことがわかります。セルビア軍に苦しめられた非セルビア人がたくさんいたのはもちろん事実ですが,一般のセルビア人が非セルビア人に苦しめられていたこともまた事実なのです。作中でも書かれていますが,「絶対的な悪者は生まれない。絶対的な悪者は作られるのだ」。ちなみに,この悪者が作られる過程については,ボスニア紛争を描いた高木徹氏の「戦争広告代理店」に詳しいので,こちらも参考にすると面白いと思います。


空爆の実態
この作品では空爆時のベオグラード(ユーゴの首都)の状況なども描かれています。私自身,イラク空爆についての新聞記事を幾つも読んでいますが,アメリ国防省の「大本営発表」を元に書かれている記事などとは異なり,一般の人々の立場から描かれた「空爆」というものは本当に怖ろしいものだと思いました。普段生活している街中に爆弾が落とされるということの意味…。これがいかに怖ろしいことか,この本をとおしてわずかですが理解できた気がします。「必要悪」などという簡単な言葉で,簡単に空爆を行ってよいのか…。ありきたりではありますが,強く考えさせられました。


■簡潔な文章もちょっと説明不足?
私はあまりルポルタージュが好きではありません。というのも,取材の過程がだらだらと書かれてページ数を稼ぐようなものが多いからです(たぶん,ルポは基本雑誌連載だからでしょう)。佐野信一の「カリスマ」を読んだとき,作品自体はとても興味深く面白かったのですが,どうにも長ったらしくて「もっと短く書いてくれ!」と思いました。文庫では上下巻で売られていますが,あの内容だったら1巻にまとめてくれと…。
しかし,「悪者見参」については,取材の過程も書いているのですが,すんなりと読めました。その理由の一つには,紛争地にも臆せず入っていくような著者の姿にドキドキしながら読んでいた,という部分もあると思いますが,文章が簡潔で読みやすいということもあったと思います。
文章が簡潔,というのは,一つは取材過程の部分がだらだらしていないということです。確かに取材過程についても結構かかれてはいますが,「誰々に会ってこのような話を聞いて,こんなことに関心を持った。なのでどこそこに言ってきた。」といった感じで,余計なことはあまり書かれていない印象でした。ほんと,人によっては取材過程を書きまくる人がいるんですよ…。あと,自分の考察ばかり書く人とかねぇ…。あと,一文一文がとても短くて読みやすいという意味でも「簡潔な」文章だと思います。こうした簡潔な文章が私の好みだったのか,苦手なルポルタージュでもすんなりと読み進められてしまいました。
ただし,背景の説明についてははしょりすぎた部分もあるかな,とも思います。私はたまたまユーゴ関連の本を続けざまに読んでいたので,クロアチア人とセルビア人の確執などについては理解できましたが,セルビア人にとってなぜコソボが特別な意味を持つのかが解らなかったので,Wikipedia様にご教示いただくことにw まぁ,調べながら読むのもまたよいのでしょうが,電車で読むことが多い身としてはちょっと辛い…。この辺の配慮がもう少しあれば,より読みやすい作品になったのではないかと思います。