「戦争広告代理店」

「情報を制する国が勝つ」とはどういうことか―。世界中に衝撃を与え、セルビア非難に向かわせた「民族浄化」報道は、実はアメリカの凄腕PRマンの情報操作によるものだった。国際世論をつくり、誘導する情報戦の実態を圧倒的迫力で描き、講談社ノンフィクション賞新潮ドキュメント賞をW受賞した傑作。


木村元彦の「悪者見参」を読んで,久しぶりに読み返しました。「悪物見参」で示されたセルビアの悲劇が,このPR合戦の敗北の結果であると考えると,なんともやり切れません。


■なんともいえない気持ち悪さ
この作品を読んでいると,本当に気持ちが悪くなります。PR会社「ルーダ・フィン」の戦略にまんまと乗せられて,単純な善悪二元論に陥ってしまう世論の脆さには吐き気がします。そして,ここでの話が決して過去のボスニア紛争に限ったことではなく,今現在も様ざまなPRによって私の認識が「操作」されていることを思うと,本当に気持ちが悪い。確かに著者が言うように,この作品で描かれたようなPR戦略はある意味で「必要悪」であり,「こういうことは不公正だからやめましょうね」なんて言ってなくなるものではないでしょう。でも,この気持ち悪さだけはどうにもなりません。
せめて,情報操作という気持ちの悪い現実を認識したことで,少しは私の情報に対する向き合い方,いわゆる「メディアリテラシー」が向上していることを願うばかりです。


■記者に「楽をさせる」
ルーダ・フィン社はメディア,議会,ホワイトハウス三者に対してPRを繰り広げていきましたが,元メディア系学科の学生という立場から,やはり興味があったのはメディアに対する工作です。なぜメディアがルーダ・フィン社に敗れたのか。理由は色々あったのでしょうが,その中で私は「ボスニアファクス通信」が気になりました。


ボスニアファクス通信」とは,ボスニア・ヘルツェゴビナに有利な情報(セルビア人がボスニアで蛮行を働いている等)をルーダ・フィン社がまとめ,有力メディアに毎日のようにファックスしていた冊子のようなものです。メディアはこの情報からボスニア紛争に興味を示すようになり,また「セルビア=悪者」の認識を強めていった旨が書かれています。
おそらく,ボスニアファクス通信以外にも,こうしたファックス(いまならEメールでしょうか)は有力メディアに届けられているのでしょう。そんな中で,この「ボスニアファクス通信」が強かったのはなぜだったのでしょうか。以下,私の考え。


本書に書いてあるように,アメリカ人にはなじみの薄いボスニアについて,背景も含めてしっかりと解説していたそうです。そのため記者にとっては,ボスニアファクス通信の情報を膨らませればそれなりの記事が書けてしまうという利点があったのではないかと思います。もちろん,どんなに興味深く,親切に書かれた内容であっても,わけのわからない怪しい団体から送られてきた情報では,裏づけ取材をしなければ記事にはできません。しかし,ボスニアファクス通信の情報は,ルーダ・フィン社の契約先であるボスニア政府からの情報です。「ボスニア政府によると…」という一文を入れておけば,裏づけなしにそのまま記事にすることもできたのではないか…。そんなことを考えました。


このように,ルーダ・フィンは記者達のことをしっかりと考え,できるだけ楽に記事が書けるように配慮する姿勢があったのではないかと思います。本書の中で,プレスセンターなどではできるだけ記者が取材しやすいように,快適な環境を用意する努力をしている旨かかれていますが,このあたりにも記者を楽させるという努力の一つですしね。これらの記者に「楽をさせる」ための努力の一つ一つが,ボスニア・ヘルツェゴビナ寄りの報道という結果に至ったのではないかと思います。


■ノンフィクションに強いNHK
しかしまぁ,柳田邦夫氏や手嶋龍一氏とか,NHKって名のあるノンフィクションライターが結構いますな。新聞記者に比べてじっくりと取材に取り組めるから,ノンフィクションに向いているんでしょうかねぇ?高木氏もこの作品で講談社ノンフィクション賞新潮ドキュメント賞,次の「大仏崩壊 バーミアン遺跡はなぜ破壊されたのか」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞と,一気に評価されました。NHK自体,いろいろ問題のある組織ではありますが,民間とは違う視点から取材に取り組める公共放送は,やっぱり必要なんじゃないかなぁと思います。