「沈黙のファイル 『瀬島龍三』とは何だったのか」

敗戦、シベリア抑留、賠償ビジネス、防衛庁商戦、中曽根政権誕生…。元大本営参謀・瀬島龍三の足跡はそのまま、謎に包まれた戦中・戦後の裏面史と重なる。エリート参謀は、どのように無謀な戦争に突っ走っていったのか。なぜ戦後によみがえり、政界の「影のキーマン」となりえたのか。幅広い関係者への取材により、日本現代史の暗部に迫ったノンフィクション。日本推理作家協会賞受賞。


共同通信の連載記事に加筆修正した本書は、まさに新聞の特集らしい内容。情報量が多く、非常に興味深い内容ではありますが、取材の焦点が少しぼやけてしまっている印象があります。タイトルに反して、本書は瀬島龍三の周辺を取材することで「瀬島の時代、瀬島的なもの」について考察した内容になっています。具体的には「日本がなぜ太平洋戦争という無謀な戦争に突入したのか。そして、瀬島を中心として、当時の参謀であった人々がなぜ戦後に暗躍できたのか」といったところでしょうか。瀬島周辺の人物について詳しい一方で、瀬島本人のエピソードについてはあまり語られていないのはちょっとなぁ。瀬島という人物に関心を持ってこの本を手にした私としては、やはり少し不満が残りますね。取材班の一人である魚住明氏が書いた「メディアと権力」は、ナベツネ本人についてのエピソードが満載で、またナベツネが何であったかについてもしっかり考察ができている点で、とても優れた作品でした。その点、この作品はテーマとなる人物を追いきれていない分、やはり評価は落ちます。魚住氏はフリーになって正解ですw


「なぜ無謀な戦争に突入したか、そして引き返せなかったか」という点で言えば、やはり思い出すのはデイヴィッド・ハルバースタムの「ベストアンドブライテスト」でしょう。「超エリートである参謀が集まりながらも、なぜ戦争がとめられなかったのか」という構図は、「ケネディが集めた超エリート集団が、なぜベトナム戦争という泥沼に足を踏み入れたのか」という構図とまったく同じです。そして、「ベストアンド…」の感想として私は「現実主義」が陥る罠というものについて書きました。つまり、その場その場でベターな判断をしているつもりが、結果的には戦力の漸次投入という愚考を犯してしまったのがベトナム戦争。で、やはり小さな局面の中で最善の行動を繰り返すだけではなく、大局を見て大きな決断を下すタイミングも必要だなぁ、という感じのことですね。そして、「沈黙のファイル」でも共通点を見出すことができました。


この作品では、瀬島の個性を「状況を整理して説明する能力がずば抜けている」など、事務屋、官僚としての優秀さを強調しています。その一方で、瀬島が何かしらの方針を立てた、独断で決定した、という描写は一つもありません。このことから、瀬島が一つの方針が決まっている中でこそ能力を発揮する人物で、状況を一変させるような決断を下すタイプではなかったようです。そして、当時の軍部、政府には瀬島タイプの優秀な人材はいても、トップダウン式で大きな決断をできる人間がいなかった(または、権力が分散していたため、そのような役割を担う人物がいなかった)。そのことが、状況に流されてズルズルと戦争になだれ込み、そして戦争から抜け出せなかった原因の一つになったのかなと。やはり、短期的な視野での最善策(決められた作戦を成功させる)を考える人だけではなく、大局を見て大きな決断(降伏する)を下せる人物も組織には必要だということでしょう。


ただし一方で、本書でも書かれているように、瀬島は中曽根内閣のブレーンとして、電電公社などの民営化に大きく貢献しています。これは中曽根という大きな決断をできる政治家と組んだときに、参謀タイプとして優秀な瀬島のような人物が生きてくるという事例であるようにも思います(むろん、この本で土光臨調の件をそのような事例として捉えているわけではありませんが)。同じ個性の人間であっても、時代や状況によっては大活躍するかもしれないし、まったく逆の結果になることも成りうるわけで、こういう類の人物評はとても難しくなりますな。以前読んだ佐野真一の「カリスマ」で中内功について読んだときに思ったのが、あれだけ破天荒な人柄だからこそ、一代でダイエーを築き上げることができたんだろうし、またバブル期に超積極投資してダイエーを赤字まみれにもしてしまったんだろうということ。彼のパーソナリティーは戦後の時代背景には非常に有意だったのに、バブル後の時代にはまったく合わなかったんでしょう。そして瀬島のパーソナリティーにしても、良い悪いではなく、あくまでも彼が優秀な官僚タイプで、戦時中にはそれが悪い方向に出てしまったんだろうと思うのです。


さて、本書では第二次大戦以外に、戦後のシベリア拘留、シベリアからの帰還、戦後賠償ビジネスの裏話などの話が展開されます。どの話も面白かった(特にシベリア拘留の件について前知識がほとんどなかったので、とても興味深かった)けれども、一つのノンフィクション作品としてみればテーマの絞込みが甘く、全体に散漫な印象だったというのが正直な感想です。瀬島について知りたい!という人は、別の作品に手を出すことをお勧めします。


…にしても、日本推理作家協会賞受賞ってw