「笑う招き猫」

笑う招き猫 (集英社文庫)

男と並んで愛誓うより、女と並んで笑いを取る、それが二人のしあわせなのだ!駆け出しの漫才コンビ、『アカコとヒトミ』。超貧乏で彼氏なし、初ライブは全く受けずに大失敗。おまけにセクハラ野郎の先輩芸人を殴り倒して大目玉。今はぜんぜんさえないけれど、いつかはきっと大舞台。体に浴びます大爆笑―。夢と笑いとパワーあふれる傑作青春小説。第16回小説すばる新人賞受賞作。


女性漫才コンビ「アカコとヒトミ」の姿を描いた、お笑い青春小説。以降、少しネタバレありかも。


この作品、話の展開がものすごいとか、「アカコとヒトミ」がブレイクして大団円とか、そういった派手な作品ではありません。そんな中で印象に残ったのは、語り手であるヒトミと、その相方のアカコが喧嘩をするラスト近くのシーン。「プロ意識」についての微妙な考え方の違いが原因で喧嘩が始まるのですが、喧嘩の終わらせ方がとても曖昧なんです。原因があって喧嘩が起きたのに、その仲直りのときに、どちらの考え方が正しいとか、本当はどういう考え方が正しかったかなどという「解答」が示されません。仲直りするまでに描かれるのは、喧嘩をしたことで落ち込み、漫才をやめようかと悩むヒトミの姿。そして仲直りのシーンは、喧嘩の数日後にふっとアカコが現れて、いつものようにヒトミの自転車の後ろに乗って会話をするというさりげないもの。物語としてはえらく地味でドラマ性のない仲直りですが、この曖昧な仲直りがとても自然に見えるんです。


実際、喧嘩して仲直りするときって、この作品で描かれているくらいに曖昧だと思います。人を怒らせてしまったときって、自分では「何でそんなことくらいで怒るの?」と思うことのほうが多いんですよね。逆に、こちらがキレるときは「なんでそんな無神経なことを…」と思ったり。でも、人はそれぞれ感情が高ぶる「ツボ」が異なりますし、考え方にも根本的に違いがありますから、行き違いは仕方がない。喧嘩の原因になった相手の言動に対して、納得するまで仲直りしない、となると、いつまで経っても関係が正常化しません。そこで重要になるのは、考え方の違いがあった上で、それでも相手と仲直りしたいという気持ちがあるのか、だと思います。この作品で言えば、漫才に対する考え方の違いはあろうとも、アカコ(またはヒトミ)と漫才を続けたい、という気持ちですね。二人が自然に仲直りできたのは、その気持ちが強かったからだと思います(そして、仲のよさに説得力を持たせるだけのエピソードがきちんとあります)。つまり何が言いたいかというと、この喧嘩のシーンを見ていて、アニメ「とらドラ」12話で、ヒロインの大河が語った「間違ってるとか間違ってないとかじゃないの。そんなことより大切なことってあるから。だから謝るとか許すとか、そういうのが必要になってくるの」という名言を思い出したということですなw


…それはともかくとして、著者はこうした人間の理屈でないところの感情を、サラっと自然に書く人だなぁという印象を持ちました。以前に読んだ「美晴さんランナウェイ」では、語り手である世宇子の叔母(美晴さん)への感情が徐々に変わっていくのですが、それもホントに「なんとなく」なんですよね。世宇子が成長するにつれて、美晴さんに対する見方がなんとなく変わっていった、みたいな感じで。まぁ、大きなエピソードがあって仲直りするとか、明確な原因があって感情が移ろうとかしたほうが、物語としては盛り上がるんですけどねw 著者の作品の場合、物語としての盛り上がりよりも、こうした地味な感情の動きがやけに自然に見える、というところに魅力があるのだと思います。


…書いてはみたものの、あんまり作品について触れていないなw まぁ、決して何かが解決するわけでもなく(むしろ最後に何かが明らかになる)、最終的には少し物足りなく感じるところもあります。が、その「物足りなさ」も、やけに作風にあっていて自然に見えてしまいました。