「東天の獅子」

東天の獅子〈第1巻〉天の巻・嘉納流柔術

柔術から柔道へ―文武二道の達人、嘉納治五郎の、技に対するたゆまざる追究と人間教育への情熱によって、明治になって衰退していた柔術界に新時代の息吹「講道館流」が誕生した。当初はただの新興一流派だったものが、「講道館四天王」らが頭角を現し、隆盛への道をその手に引き寄せていく。若き気概に充ち満ちた青春武道ロマン、第一巻。


私と柔道の関わりといえば、高校2年間、体育の授業で習ったということだけ。しかし、たったそれだけの期間であっても、柔道を体感できてよかった、そう思わせるだけの魅力があるスポーツでした。習う前には「ぶん投げる」という感じの豪快・野蛮なイメージがありましたが、実際に先生の話を聞くと全然違う。どの技にしても、どうやったらどう倒れるか、という理屈がきっちりとあるんです。相手の体勢を崩して、重心の崩れた方向に応じて技をかけて投げてやると、しっかりと倒れる。これは実際、素人である私がやっても、きっちりと相手を倒せるんです。そういったことを実際に体感して、柔道の技というものはひどく合理的だなと思うようになりました。今回この作品を読んで、その柔道のもつ合理性がどこからくるのか、よくわかりました。


この作品は全4巻で、おそらくは1巻ずつ別の格闘家を取り上げる形式なんだと思います。で、一巻目は柔道の創始者である加納治五郎氏。創始者として名前くらいは知っていましたが、その彼の経歴を知って驚きました。彼は東京大学で学び、その後は学習院の講師をやっていた文学士であったというのです。また、大学に入学する前には育英義塾というところでは、オランダ人が教頭をしており、授業はすべて英語だったといいます。西欧の文化に積極的に触れてきた文学士。そんな彼が現在の柔道を作り上げたと考えるとかなり意外ではありましたが、柔道の根本に流れる「合理性」のことを考えると妙に納得がいきました。


治五郎がやったことは、様ざまな武術の流派が、「型」や秘伝として残している技の一つ一つに、いちいち理屈をつけることだったとあります。つまり、昔からある「相手を倒す」「相手を絞める」ためのノウハウに、「理屈」をつけて体系化したものが柔道の技であると言えるでしょう。そして、それをなしえたのが根っからの格闘家ではなく、西欧の知識を取り込んでいるインテリであった。ううん、納得。そりゃ、柔道が合理的なわけですよ。


そして、このような経緯を考えると、柔道とは日本の古くからの武術と、西欧の合理性とが合わさった競技だといえるかと思います。だからこそ、柔道は西欧のスポーツ文化に馴染みやすかったのかもしれません。柔道がどのようにして世界に広かって行ったのかは個人的には謎で、その謎はこの作品の中でも明かされるかもしれませんし、明かされないかもしれません。しかし、なぜ世界に受け入れられたのか、ということについては、柔道創設の経緯とその根本に流れる合理性を考えれば、納得できるものがありました。


…作品の感想なのか、柔道の素晴らしさについての感想なのかよく分からなくなってきたw まぁ、夢枕獏が格闘家のことを書いているわけですから、面白くないはずがない、とだけ言っておきましょうw ちなみに、序章では木村政彦という柔道家が、ブラジルにて「エーリオ・グラッシェ」なる人物と、「バレツウズ」なる競技で勝負をするところから始まります。もう、これ見るだけで総合格闘技を少しでも見るひとなら楽しめるに決まっているでしょw
全体的に、資料から史実や証言を取り出してくるノンフィクション的な部分と、その中の一つの場面を夢枕獏が物語化している部分にわかれる形式の作品。物語としても、史実としても面白い、いい作品だと思います。2巻以降も当然、継続して読ませていただきます!



■美しき柔道技の数々
http://jp.youtube.com/watch?v=pFM-xRKbSec


個人的にはアテネ横澤由貴が残り1秒で放った袖釣込み腰、シドニー野村忠宏が決めて度肝を抜かれた肩車が印象的で、やけに美しい技に見えます。