アニメ「とらドラ!」…11話についての感想


アニメ「とらドラ!」について感想を書こうとしていたのですが、書こうとしてもまとまらん。さらに言えば、アニメ終了とともに小説版を読みはじめたため、忙しくて日記を更新する気力がないw ということで、印象に残った回などについて、複数回に分けて書いてみることにします。まずは第11話「大橋高校文化祭(前編)」から。


この作品の見方が一気に変わったのがこの11話でした。一人暮らししていた大河と「また一緒に暮らしたい」といって、大河の父親が登場してするところです。過去に「捨てられた」形で一人暮らしをすることになった大河は、父親を断固として許そうとはせず、電話を無視するなどして面会することを拒絶します。一方の竜児は、一度大河の父親に会ったときに、彼が本気で大河と暮らしたいと考えていると感じ、大河を説得しようと試みます。せっかく迎えに来てくれている、家族なんだから父親と一緒に暮らすべきだ、とかなんとか。


私自身、家庭の事情がいろいろとありまして、父親とは折り合いがよくありません(もちろん、大河の家庭のような複雑な事情ではなく、よくある不和があるというだけですが)。それだけに、家族だからというだけの理由で「一緒に暮らすべき」などという竜児の安易な理想論を、ひどくうっとうしく感じました。大河が捨てられたときの事情を知らない人間がそんなことに口出しできるのか、父親だからという理由だけで、彼が本当に大河を愛していると言い切れるのか、と。しかし、揉み合いのなかで、大河を説得するために竜児が発した一言にショックを受けました。


「うちの親父なんかどんなに望んだって帰っちゃこねぇ!」


考えてみれば、竜児は竜児で、父親がいない家庭に育っているわけです。そのことに気がついたとき、竜児の「父親と暮らすのが理想」という考えが、安易な理想論ではなく、自らのコンプレックスや経験からくるものであったことを痛感しました。だからこそ、竜児は必死だったんだと。もちろん、竜児とは逆、大河に近い立場にいる私には、竜児の考え方はまったく理解できません。しかし、竜児の事情を明示されたとき、その考えをうっとうしいとか、そんな言い方はできなくなってしまいました。竜児は大河の気持ちを絶対に理解できないし、大河は竜児の気持ちを絶対に理解できない。けれども、竜児の事情を理解したうえで「父親と暮らせ」といわれたとき、竜児の言葉が絶対に間違っている、などとは言えなくなってしまいました。父親と暮らすことを決断したときの大河の言葉「あんたが言うからそう(=父親と住むことが良いことだと)思うことにする」に、竜児の言葉にはひとつも説得されていないけれども、竜児の言葉を否定できない、という大河の心境が現れていると思います。このシーンで、私の中で「とらドラ!」はただのラブコメではなくなりました。


ちなみに、竜児が母子家庭で、大河が捨てられる形で一人暮らし、というのは、作品の前半できちんと明かされています。しかし、竜児の父親については、竜児の「目つきが悪い」という設定のためのギャグ的な要素という印象がありますし、大河の事情についてもそれほど強調されていません。また、大河の両親の不在について、ラブコメならではの都合の良い設定(竜児と大河が同じ釜の飯を食らうための設定)と捉えていた部分がありました(これは私だけではないんじゃなかろうか)。このように、竜児が母子家庭であることはきちんと説明しながらも、その事情を避けながらラブコメを続けていたことが、11話のこのシーンの驚きと、設定としての無理のなさにつながっているわけです。素晴らしい構成だと思いますねぇ。


…てなわけで、次は14話の「幸せの手乗りタイガー伝説」について、気が向いたときに書きたいと思います〜。