「笑う招き猫」

笑う招き猫 (集英社文庫)

男と並んで愛誓うより、女と並んで笑いを取る、それが二人のしあわせなのだ!駆け出しの漫才コンビ、『アカコとヒトミ』。超貧乏で彼氏なし、初ライブは全く受けずに大失敗。おまけにセクハラ野郎の先輩芸人を殴り倒して大目玉。今はぜんぜんさえないけれど、いつかはきっと大舞台。体に浴びます大爆笑―。夢と笑いとパワーあふれる傑作青春小説。第16回小説すばる新人賞受賞作。


女性漫才コンビ「アカコとヒトミ」の姿を描いた、お笑い青春小説。以降、少しネタバレありかも。


この作品、話の展開がものすごいとか、「アカコとヒトミ」がブレイクして大団円とか、そういった派手な作品ではありません。そんな中で印象に残ったのは、語り手であるヒトミと、その相方のアカコが喧嘩をするラスト近くのシーン。「プロ意識」についての微妙な考え方の違いが原因で喧嘩が始まるのですが、喧嘩の終わらせ方がとても曖昧なんです。原因があって喧嘩が起きたのに、その仲直りのときに、どちらの考え方が正しいとか、本当はどういう考え方が正しかったかなどという「解答」が示されません。仲直りするまでに描かれるのは、喧嘩をしたことで落ち込み、漫才をやめようかと悩むヒトミの姿。そして仲直りのシーンは、喧嘩の数日後にふっとアカコが現れて、いつものようにヒトミの自転車の後ろに乗って会話をするというさりげないもの。物語としてはえらく地味でドラマ性のない仲直りですが、この曖昧な仲直りがとても自然に見えるんです。


実際、喧嘩して仲直りするときって、この作品で描かれているくらいに曖昧だと思います。人を怒らせてしまったときって、自分では「何でそんなことくらいで怒るの?」と思うことのほうが多いんですよね。逆に、こちらがキレるときは「なんでそんな無神経なことを…」と思ったり。でも、人はそれぞれ感情が高ぶる「ツボ」が異なりますし、考え方にも根本的に違いがありますから、行き違いは仕方がない。喧嘩の原因になった相手の言動に対して、納得するまで仲直りしない、となると、いつまで経っても関係が正常化しません。そこで重要になるのは、考え方の違いがあった上で、それでも相手と仲直りしたいという気持ちがあるのか、だと思います。この作品で言えば、漫才に対する考え方の違いはあろうとも、アカコ(またはヒトミ)と漫才を続けたい、という気持ちですね。二人が自然に仲直りできたのは、その気持ちが強かったからだと思います(そして、仲のよさに説得力を持たせるだけのエピソードがきちんとあります)。つまり何が言いたいかというと、この喧嘩のシーンを見ていて、アニメ「とらドラ」12話で、ヒロインの大河が語った「間違ってるとか間違ってないとかじゃないの。そんなことより大切なことってあるから。だから謝るとか許すとか、そういうのが必要になってくるの」という名言を思い出したということですなw


…それはともかくとして、著者はこうした人間の理屈でないところの感情を、サラっと自然に書く人だなぁという印象を持ちました。以前に読んだ「美晴さんランナウェイ」では、語り手である世宇子の叔母(美晴さん)への感情が徐々に変わっていくのですが、それもホントに「なんとなく」なんですよね。世宇子が成長するにつれて、美晴さんに対する見方がなんとなく変わっていった、みたいな感じで。まぁ、大きなエピソードがあって仲直りするとか、明確な原因があって感情が移ろうとかしたほうが、物語としては盛り上がるんですけどねw 著者の作品の場合、物語としての盛り上がりよりも、こうした地味な感情の動きがやけに自然に見える、というところに魅力があるのだと思います。


…書いてはみたものの、あんまり作品について触れていないなw まぁ、決して何かが解決するわけでもなく(むしろ最後に何かが明らかになる)、最終的には少し物足りなく感じるところもあります。が、その「物足りなさ」も、やけに作風にあっていて自然に見えてしまいました。

「とある飛行士への恋歌」

とある飛空士への恋歌 (ガガガ文庫)
とある飛空士への追憶 (ガガガ文庫)

「これはきれいに飾り立てられた追放劇だ」数万人もの市民に見送られ、盛大な出帆式典により旅立ちの時をむかえた空飛ぶ島、イスラ。空の果てを見つけるため―その華やかな目的とは裏腹に、これは故郷に戻れる保証のない、あてのない旅。式典を横目に飛空機エル・アルコンを操縦するカルエルは、6年前の「風の革命」によりすべてを失った元皇子。彼の目線は、イスラ管区長となった「風の革命」の旗印、ニナ・ヴィエントに憎しみを持ってむけられていた…。『とある飛空士への追憶』の世界を舞台に、恋と空戦の物語再び。


2008年、口コミならぬ「ネットコミ」で話題となり、ラノベ界で数々の賞賛を浴びた「とある飛行士への追憶」。その続編にあたる「とある飛行士への恋歌」なる作品が発売されていました。「追憶」が予想外のヒットとなり、無理やり続編を書かされることになったんだろうなぁ、などと邪推しながらも、前作から著者の力量は確かだろうと思い、購入してみました。
読んでみると、この作品は「追憶」の続編と言うよりも「姉妹編」と言えるものだと分かりました。「追憶」と同じ世界を舞台としながらも、出てくる国や登場人物はまったく異なります。もちろん、主人公カルエルは、「追憶」と同様に飛行士ですが。そしてこの作品、まさかのシリーズものでしたw 前作同様、今回も1話完結の読みきりだと思い込んでいた…。1巻目は物語の序章に過ぎないのですが、前作同様、安心して楽しめるエンタメ作品として期待できるのではないでしょうか。


この作品で私が一番に評価したいのは、「追憶」では明かされなかった世界観の設定について、説明がなされるだろうという点です。「追憶」で登場した「大瀑布」(レヴァーム皇国・帝政天ツ上間の海に現れる端の見えない滝)などは、突飛な設定であるにもかかわらず、何の説明もなしにただ逃亡劇を盛り上げるための道具として、安易に用意されたという印象がありました。しかし、「恋歌」では、同じ世界の別の時代(または別の地域?)を舞台として、主人公達が世界の成り立ちの謎を明かすことがメインテーマの一つになっています。「恋歌」によって世界観が納得の行く形で説明されることにより、「追憶」世界観がより立体的になるのであれば、続編としては理想的な形ではないでしょうか。「大瀑布」の果てには何があるのかなど、「追憶」では明かされなかった設定も徐々に明かされるでしょうから、これは楽しみです。
(…もちろん、「追憶」はもともとシリーズではなく読みきり作品であったはずで、「恋歌」で語られる世界の成り立ちは、あくまで後付け的な設定なのでしょう。1話完結である「追憶」が予想外に売れたために、やむを終えず続きを書くことになり、無理くり設定を後付した…ありそうな話です。それでも、続編を書くにあたり、キレイに終わっているファナとシャルルの話の続きを無理に書くのではなく、別の主人公を用意して、書き込みの足りなかった「追憶」の世界観の設定を補足することにした、というのは、続編としてベターな選択だと思います。)


また、世界観が納得のいく形で説明してくれるかという点についても、なかなか期待が持てると思っています。「恋歌」では冒頭の主人公(カルエル)のやさぐれた独白「くそったれの旅へ出よう。これはキレイに飾り立てられた追放劇だ」が一つの謎かけ(というと大げさか?)となっています。「空飛ぶ島」イスラに乗って世界の謎を解く、という目的を持った旅がなぜ「追放」なのか?そしてその回答は、作中できちんと得ることができました(ここまでカルエルが絶望的な気分であったのか、と言われると、少し違和感があるんですけどもね)。こうした謎であったり伏線であったりに対して、きちんと説明を与える書き方をしてくれるのであれば、こちらとしても安心して読み進められますね。
(ちなみに、少し疑問だったのは、空飛ぶ島「イスラ」になぜ武装させているかということ。3国が友好の証としてイスラ開発プロジェクトにあたったのであれば、武装させちゃまずいわね。…物語に登場する3国以外にも、遠いどこかにはほかの国があるかもしれない、という前提があったのかしら?)


一方で不安なのは絵師がの方。人物の絵はよくて、女の子の絵も可愛らしいんですよ。いとうのいぢ先生くらいキャッチーな絵だとちょっと…と思ってしまう私でも、「恋歌」のクレアの絵(2ページ目折りこまれているカラーの絵)なんかは可愛らしいと思いますし。ただ、「追憶」では肝心の空戦シーンがあんまりにも貧弱だった…。そして「恋歌」では、飛行機ものにもかかわらずまともに飛行機が描かれた絵がないという。。。まぁ、「追憶」で描かれたクオリティーであれば飛行機を書かないほうがマシっちゃマシなのですが、そうはいってもこのまま描かないわけにはいかないだろうし…。次巻以降、こんな不安は杞憂であったとうなってしまうような、素晴らしい飛行機の絵を期待しております。


と、まぁごちゃごちゃと書いていきましたが、本質的にはボーイミーツガールの堂々たるラノベの王道なのです。細かいことは抜きにして、ただただ楽しめばよいのです!安易な萌え描写が少〜し気になるところもありますが(笑)、読んでいる間は物語の世界にどっぷりと浸ることができますよ。安心して楽しめるファンタジー小説を読みたいという方、「追憶」「恋歌」ともにお薦めです。

「バンブーブレード(9〜10巻)」

BAMBOO BLADE 10 (ヤングガンガンコミックス)
BAMBOO BLADE 9 (ヤングガンガンコミックス)

男女混合・7人制という妙なカタチで始まる練習試合。先鋒の東から始まり、室江高が意外にも連勝を重ねてゆく。鎌崎高メンバーのイライラが募る中、一人平静を決め込んでいた岩堀が、タマキと対峙する…。


室江剣道部の元に突如舞い込むテレビ出演の依頼! 一方、九州の地で天才剣士・榊(さかき)ウラの復活を目論む桃竜(とうりゅう)学院剣道部顧問・寺本(てらもと)は、訪問したウラの自宅で息を飲む。彼女の部屋は “パンドラの箱”だった…!


最新刊が出たのでまとめて感想。この作品の最大の美徳は、シリアスなシーンがあっても、全体として「剣道部コメディー」という雰囲気をしっかりと保っているところだと思います。


例として9巻の鎌崎高校での練習試合について少し。このシーンでは、本気で剣道に取り組まなくなってしまった鎌崎高校の岩堀が、珠姫と試合をすることで変化が起こります。かなりストレートに岩堀の成長が描かれていて、作中でも珍しいくらいにシリアスな展開なんです。が、その後にくる「コジローVS石橋先輩」が一気にコメディーに。 しかも、これがとてもよく出来ているんですよw シリアスなシーンとして、物事に本気になれないことの「格好悪さ」を岩堀を通して描いた後に、まったく同じ「格好悪さ」を、石橋先輩を通したコメディーとして描いてしまうんです。しかも、このシーンのためだけに着々と伏線まで張られているというw こういうコメディーシーンを混ぜ方が絶妙で、だからこそシリアスなシーンがあっても「バンブーブレード」としての雰囲気を保てるのでしょう。


そしてもちろん、雰囲気が崩れない要因はほかにもあります。漫画的な派手さではなく、あくまで「地味」に人々の成長を描き続けている点も、作品全体で共通しています。また、室江高校剣道部の日常を賑やかに、楽しそうに描いている点も一貫していますね。あくまで奇をてらわずに、作り上げた作品の雰囲気をしっかりと保った上でストーリーを進めていく、この丁寧さが「バンブーブレード」の安定した面白さを生んでいるのだと思います。


それはそれとして、最新刊の10巻です。10巻は次の展開へのつなぎといった意味合いが強く、8〜9巻のように強く印象に残るシーンはありませんでした。話のメインは、散々引っ張ってきた「榊ウラが剣道をやめた理由」が明らかになること。これがまた、読者の想像の斜め上を行く土塚先生らしい外し方で、笑わせてもらいましたw が、「ブラックデュラン」の話がちと長すぎたわなw
しかし、一番の見所はなんといってもキリノの「そんなことはないよ。コジロー先生は前からああだよ」の一言でしょう。ここ、ほとんどの読者がニヤニヤしながら読んだシーンではないでしょうかw


そんなわけで、次の巻も楽しみです。最近はタマちゃんの出番もすっかり少なくなっている感じがありますが、次はもうちょい出番はあるのだろうか?あと、最近は絵のタッチが変わってきていて、私としてはちょっと苦手な感じになっているのが残念。1〜2巻くらいのシンプルな絵柄のほうが個人的には読みやすかったなぁ

「皇国の守護者」

皇国の守護者 5 (5) (ヤングジャンプ・コミックス・ウルトラ)
皇国の守護者 1 (ヤングジャンプコミックス)

長らく太平を謳歌していた島国<皇国>、その最北端・北領に突如、超大国<帝国>の艦隊が押し寄せる。<帝国>が誇る戦姫・ユーリアの指揮する精鋭部隊の前に、為す術なく潰走する<皇国>軍。剣牙虎の千早とともに、圧倒的軍勢に立ち向かう兵站将校・新城直衛中尉は、蹂躙されゆく祖国を救えるのか…!? 佐藤大輔・原作の同名小説を、俊英・伊藤悠が苛烈に描く戦記浪漫!


この漫画は、原作小説のプロローグ的な話(だと思われる)である北領(ほくれい)からの退却戦が描かれていて、そこでいきなり「完」となってしまいます。そのため、読み手としてはどうしても納得できませんし、消化不良です。しかし、退却という一つのミッションが完遂するまでの過程についてはきちんと描かれているため、打ち切りではありながらも、最低限のマナーは守っているかな?とは思いました。盛り上がってきたところで「完」となるよりは随分とましですからね…。以下、打ち切りのせいで消化不良な点と、打ち切りだけれども十分に楽しめた理由について書いていきます。


まず消化不良な点から。当たり前ですが、打ち切られるのが前提で書き始められたわけではないので、北領撤退以降の物語で核になるであろう背景設定の説明が、まさに無駄な説明になってしまいました。一番残念なのは、主人公である新城の生い立ちについての話ですよね。彼の生まれについての謎だったり、新城が慕う姉についてのことだったりがちらちらと書かれているのですが、結局は謎のままになってしまいました。また、新城のライバルとなるであろう帝国の東方辺境領姫ユーリアも、この戦ではそれほど活躍する場面がないため、表紙などで目立っている割にはインパクトのないキャラクターになってしまいました。キャラ設定的な説明はあって、ストーリーが進んでいけば魅力的なキャラクターになっていきそうなだけに、もったいないですよねぇ。。。


あと、ファンタジー的な世界観(サーベルタイガーを武器とする剣虎兵、離れたところから念力を使って索敵などができる道術兵など)が邪魔になってしまいました。退却戦後も話が続いて壮大な物語になるのであれば、世界観の設定にも徐々に慣れてきて、味が出てくると思うんですよ。しかし、描かれるのがあくまで戦争の一つの局面だけになってしまうと、それらの設定がただ突飛で、リアリティを奪うだけのものに見えてしまいました。


次に、打ち切りであっても楽しめた点について。この作品では、大隊のメンバーの絶対的なカリスマを「演じる」新城の姿を中心にして、新城の大隊が友軍を逃がすための捨石として戦う悲惨な退却戦の一部始終が、とてつもない迫力で描かれています。その姿はあまりにも壮絶で、この作品がはじめからこの戦だけのために描かれたと言われとしても納得してしまうほどのものです。少なくとも、「完結しないんだったらはじめから描かないほうがよかった」などとは口が裂けても言えませんね。


舞台が勝ち戦ではなく、絶望的な負け戦であったのもよかったです。新城というキャラクターの魅力が素晴らしく映える舞台設定でした。絶望的な状況下でも、新城は指揮官としての演技に徹することで、一方では兵達を強力に統率し、一方では恐怖で震える自身を鼓舞していきます。この、自身の臆病を認識しつつも、最善の結果を得るためにあくまで指揮官を演じ続けるというところに、新城の凄みが感じられました。勝ち戦ではない、絶望的な状況からこそ、新城の弱さ、強さ、非情さ、優しさ、狂気が余すところなく描けたのではないでしょうか。


結論としては、打ち切りでも読む価値あり、です。消化不良感はもちろんありますが、中途半端なところで終わっているわけではないので、まぁなんとか納得して読み終えることができる範囲でしょう。そして、打ち切りであることを補っても余りあるほど、魅力的な物語でした。
…ただ、この作品を貸してくれた友人に一言文句を言いたい。打ち切りだってことは先に言っておいてくれ!3巻あたりからさすがにおかしいなとは思ったけどさぁw

「E.G.コンバット」(1〜2巻)

E.G.コンバット〈2nd〉 (電撃文庫)
E.G.コンバット (電撃文庫)

ルノア・キササゲ。21歳。北米総司令部最年少大尉。生成晶撃破数歴代7位。月より舞い降りしワルキューレ。反応速度の女神。男性ファン多数。女性ファンも多数―そんな“英雄”にやっかんだ先輩が裏で画策して、彼女は月に戻されることになった。与えられた任務はなんと自分が卒業した訓練校の教官。そして初めての“教官任務”に緊張する彼女を月面で待っていたのは、訓練校始まって以来の落ちこぼれと言われる5人組だった…。抱腹絶倒の“闘い”の日々が始まる ―『メタルスレイダーグローリー』の☆よしみるが原作者としての本領を発揮!SFコミカルストーリー登場。


秋山氏のデビュー作「E.G.コンバット」の1,2巻を古本屋で見つけ、即購入。この作品、4巻で完結の予定だったのですが、3巻が99年に出てから10年近く経った今でも4巻が出ていませんw ファンの間ではいまだに4巻の出版を待ち望む声が多数という、人気作にして問題作。完結する可能性が非常に低い作品を今になって読むのもどうかと思うのですが、秋山作品で読んでいないのがこのシリーズだけになってしまったということもあり、せっかくなんで読んでみることに。…ちなみに、この作品は絶版ではないらしいのですが、新刊ではまず手に入りません。古本屋のラノベコーナーを見てもほとんど見つからなかったので、今から手に入れるためのは難しいかもしれません。私も2巻までは手に入りましたが、3巻を読めるのはもっと後になりそうです。


さて感想。なにより思ったのは、良くも悪くも、デビュー作の時点で秋山瑞人秋山瑞人だったんだなぁということ。幾つか挙げてみますと…


1. 独特の文体
2. みっちりと描かれるディテール
3. 爆笑のコメディー
4. 持ち上げて突き落とす
5. 未完w


とりあえず、上記の1.〜2.について書いてみます。


一つ目の「独特の文体」について。これは秋山氏の一番の特徴といってもいいでしょう。例えば2巻で出てくる以下の表現なんかは、あまりにも秋山なんですよ。このシーンは、主人公の女性教官ルノアの教え子達が、初めて実戦に巻き込まれたときの描写です。状況を説明すると、GARPは乗り物で、操作しているのは5人の教え子。ダッシュの部分がルノア教官の言葉になります。

…コントロールを失ったGARPは、三機以上のスラスターが開くという危険な状態のまま、高速度で転倒


―もう!昨日もやったでしょ!?起動中にシステムがダウンしたときは―


しなかった。突然、五人の手が機械のように動いた。…


この文章は、「高速度で転倒」まででいきなり途切れてしまいます。通常なら「転倒した。」と句点で終わるところを「転倒」で区切ることで、まさに転倒しそうな状況だったことがイメージできます。そして、そのギリギリのところでルノア教官の教えを思い出し、五人がGARPの姿勢を立て直した、という一連のシーンが、生き生きと描写されています。これと似たような描写は、例えば最新刊「DRAGONBUSTER」にも見られます。

行く手に現れる辻を気の向くままに右へ左へと折れて、ぐるぐる回る「思い出しの姫君」は市場の奥へ奥へと入っていく。闘鶏の土俵、証文の代書屋、饂飩の屋台、魚の量り売り、八百屋、床屋、濁酒の立ち飲み、鋳掛屋、面屋、


面屋。


月華は足を止め、竹棚に掛けられた色とりどりの面に目を輝かせた。


この文章でも、月華(ベルカ)が市場の様ざまな店を眺めて歩いて(走って)いる描写を「面屋、」で止めています。月華(ベルカ)が面屋を見つけて一気に興味を引かれていることがよくわかるシーンですね。


以上のように、一つの文章を途中で区切ってしまい、句点で終わらせない、というのはよく秋山氏が使う手法なんです。いわゆる「正しい日本語の表現」ではありませんし、好き嫌いはあると思います。秋山作品を初めて読んだときには、私も確かに違和感はありました。しかし、慣れてくるとこの文章のノリがやけに癖になる!また実際に、こうした文章が、一つ一つのシーンを印象的に描き出すことに成功しているように思いますね。特に、上記のように「動き」を描写するときには有効な書き方であると感じました。


二つ目の「みっちりと描かれるディテール」について。この作品の舞台は月面訓練校で、そこにはなぜか女しかいないw とてもラノベチックなおいしい設定…、悪く言えば「都合の良い」設定なのです(この設定は原作である漫画版のものらしい)。その理由も、地球を侵略してきた宇宙生物「プラネリアム」が特に女を襲うため、女達を月に逃がしたというのだからどうにも説得力がないw しかし、実際に作品を読み進めていくと、この都合の良い設定にしっかりとしたリアリティーを感じるのです。


なぜかというと、ディテールが異常なほど細かく書かれているから。訓練校の設定なんかでも、訓練生達が着る服に始まり、イジメの話だの、員数合わせ(参考:http://hirayan.okigunnji.com/backnumber/55.htm)の話だの、書かないでもところまでまぁみっちりと書き込まれていること。また、そうした文化が、教官であるカデナの訓練生時代にもあったという点が、カデナと教え子達とをつなぐ役割をしていたりしている。こうした細かなエピソードの一つ一つが、この「都合の良い」世界観を立体感のある「リアル」なものにしているんですよねぇ。
そしてこの点についても、最新刊「DRAGONBUSTER」と共通します。「DRAGONBUSTER」は中華ファンタジーで、設定はすべて空想のもの。にもかかわらず、ある地方の料理の辛さだったり、または城壁の由来についての説明だったりと、メインとなるストーリーとは直接関係性のない部分にまでやたらと詳細に描かれているんですよね。そして、それが架空の世界をより立体的でリアルにしている点も同様です。


もっとも細かすぎるのが玉に瑕で、「E.G.コンバット」では軍隊やテクノロジーについてのあまりにもマニアックな話については、全然理解できなかったりするのですが。。。また、せっかくの「女だらけの訓練校」というおいしい設定にもかかわらず、あくまでも軍隊的な、品のないエピソードばかりが語られるもんだから、笑っちゃうくらいにキャラクターたちに色気がないw この作品、秋山作品の中でも一番「おいしい」設定であるにもかかわらず、もっとも萌え要素の薄いのではないだろうかw


以上、秋山瑞人はは最初からもう秋山瑞人だったというお話でした。最初からすげぇ筆力を持っていたんだなぁと感心する一方、秋山は何を書いても秋山なんだなぁと感じたところも少しあります。意外性には少し欠けるか。もっとも、作品数が少ないため、意外性のある実験作を出してそれが面白くなかったら、ものすごいガッカリするんだろうけれどw やはり秋山氏には、寡作でもいいから得意技で全力投球で書き抜いて、しっかりと物語を「完結」してもらうことを期待しましょうw 「E.G.コンバット」だって、これだけ面白い作品を完結させないなんてありえないですよぅ。イラスト変えてハヤカワ文庫で1〜3巻を再出版して、満を持して完結編の4巻を出すとか、そんな展開を希望します!…まぁ無理だろうけどw

「東天の獅子」(第4巻)

東天の獅子 第4巻 天の巻・嘉納流柔術

講道館の門下生を夜ごと襲う「梟」と名乗る男は「唐手(トゥディー)」の使い手であった。西郷四郎武田惣角から沖縄での唐手の体験談を聞く――そして、第2回警視庁武術試合には唐手勢力が乗り込んでくる!柔道、空手道、合気道――すべてにつながる格闘シーンの数々。強い、皆強い信じられぬほど強い。漢たちは何度も立ち上がる。己が奮い立つ、後にも先にもこれしかないという傑作。


日本柔道の壮大な物語である「東天の獅子」。ひとまず「天の巻」全4巻を読み終えました。加納流柔術について書かれた「天の巻」はこれにて終了ですが、この後は前田光世が中心となる「地の巻」が書かれるとのこと。あとがきによれば、「地の巻」の執筆に取り掛かるのはもう少し先になるそうですが、一日でも早く書いていただきたいものですね。そう思わせるくらい、「天の巻」は魅力ある作品でした。


4巻で印象に残ったのが、武田惣角琉球にわたる話と、中村半助・佐村正明の再戦です。前者は物語として魅力的でしたし、後者はとにかく「熱い」格闘シーンが印象的でした。


まずは琉球の話から。武田惣角はこの物語の中心人物の一人でありながら、3巻までは惣角視点で物語が語られることがあまりありませんでした。惣角は、さまざまな人物のエピソードの中でフッと登場して、その強烈な個性と異常なまでの強さを見せつけるといった役割で、どこか謎めいたところがありました。しかし、ここにきての惣角視点で物語。読む側としては、惣角がどのような考えを持った人間なのか等、とても興味を惹かれましたねぇ。また、惣角視点でエピソードが描かれたことで、惣角というキャラクターにより深みが増したように思います。
また、このエピソードに続いて、西郷四郎琉球拳法使い・島袋安徳の試合が描かれるのですが、これがまた面白いんですよ。これまでの柔術VS柔術以上に、柔術VS拳法の試合は緊張感がありました。打撃一発で試合が決まってしまう緊張感が、文章からもヒリヒリと感じられます。四郎が安徳の拳を受けて、意識を失いながらも戦うシーンが格好よかったです。


次に中村半助・佐村正明の再戦。この作品中でも最も気合の入った格闘シーンではないでしょうか。西郷・島袋戦では「打撃」があることによるワクワク感がありましたが、こちらは柔術同士でガチガチと闘うところが、とにかく「熱く」描かれています。2巻での中村・佐村の緒戦もかなり熱いシーンだっただけに、もう一度この闘いを書いても同じような描写になってしまうのではという不安があったのですが、杞憂でしたね。同じ格闘技のシーンでも、様ざまな手法で描けるものなんですねぇ。さすがです。


さて、そうした魅力的なエピソードが展開されつつ、物語終盤では2回目の警視庁武術大会、そして西郷四郎の「なぜ闘うのか」という話に移っていきます。この辺りも面白いのですが、あえて一つ不満を。残念ながら、物語の序盤からあった武田惣角と加納治五郎の対比の構図(とにかく強くなるために柔術を極める惣角と、日本人の精神を学ぶために柔道を極める治五郎)について、結論が出ないまま終わってしまった印象がありました。この柔術に対する二つの価値観が、何かしらの形でぶつかるシーンがあればよかったのですが、物語が進むにつれて治五郎がフェードアウトしてしまう(終盤は完全にフェードアウト…)。そのため、「治五郎の柔道」に対する結論がぼやけてしまった感じです。惣角的な考え方に対する結論は、西郷が「なぜ闘うのか」悩み続ける中である程度は見えているだけに、治五郎的な柔術に対する解答についてもはっきりと示して欲しかったですね。


そんなわけで、とても楽しい読書となりました。次は「地の巻」。…いつになったら読めるのかしらw


蛇足:そういえば、琉球拳法(ティー)について、池上永一テンペスト」の内容と繋がる部分が幾つか合って、ちょっと読んでて楽しかったです。琉球の人々は幕府によって武器を所有することが禁じられていたために、自らの拳を凶器とする方法を考えた云々…という話とか。

12月も中盤に差し掛かり世間は年末モード。本のベスト企画も出揃った感があります。昨年は、追っかけてきた桜庭一樹が「赤朽葉家の伝説」でこのミス1位か?と期待してみていましたが(結果は2位)、今年は特に注目作もなく、それほどの盛り上がりはないです。とはいえ、ベスト企画で出会う本もちらほらあることも事実で、またいろいろと参考にさせてもらおうと思います。


さて、個人的なベストを思いつくままに。 ベスト企画は随分久しぶりw


小説の新刊では、3巻まで読了している夢枕獏東天の獅子」。格闘技や柔道に興味があるという個人的な趣味の要素、また史実的な面白さというノンフィクション的な要素などが混ざっているので、純粋に物語としての評価ではないかもしれません。が、夢枕獏の得意分野であり、もろに思い入れが伝わってくるいい作品です。
…ただ、改行大杉の獏文体で、単行本1800円はちと高く感じるw ノベルズで出てたらなおよかったw
既刊含めて読んだ小説だと、やはり「東天の獅子」と、あとは秋山瑞人鉄コミュニケイション」。鉄コミは漫画原作のノベライズということで敬遠していましたが、個人的には秋山No.1作品かも。小説として、そしてSFとしては「猫の地球儀」のほうが上でしょうけれど、あえて漫画として、私はこの作品が大好きだ。お気に入りは「あめあめふれふれ」のラストシーン。SFならではの名場面。


ライトノベルに限定すると、新刊では(ほとんど読めていない…)無難に犬村小六「とある飛行士への追憶」ですかね。短いけれどもボーイミーツガールと任務遂行までの過程に的を絞ってスパッと書き上げており、エンタメ性は高かったです。ただ、あまりにもとってつけた感じの世界観がマイナスかな。あとは、エロ自重w ちなみに秋山待望の新刊「DRAGON BUSTER」はまだ終わっていないし、本当に終わるかどうかも分からないので対象外w
既刊含めると前述の鉄コミが抜けてよかったですが、桜坂洋よくわかる現代魔法」もよかった。シリーズとしてはもうちょっとだけれど、1巻(new edition)限定ならかなり楽しめました。どうやらアニメ化の話もあるようだけれど、なぜ今更? 正直、アニメで面白くなる内容ではないんじゃないかとも思うのだけど…。


漫画ではとよ田みのるFLIP-FLAP」かな。ピンボール漫画という謎ジャンルながらも、「好きってのはこういうことなんだよ!」と叫びたくなる、すべての趣味人に勧めたい作品。ちなみに、著者のデビュー作「ラブロマ」は、悪くないけれどもちょっとウーン、という感じw デビュー作から随分化けたな、とプラスに解釈しましょうw
そういえば、土塚理弘バンブーブレード」も今年読み始めたのか。美少女剣道物なんて読んでいる俺、人生オワタ! …まぁ、私がアレなのは確かとしても、内容は正しく少年漫画的成長ストーリーで、しかも実質的な主人公は顧問のオッサン(といっても20代後半)コジローというw 特にコメディーとしての1巻は素晴らしい。また、オッサンの成長物語としての8巻、9巻はツボでした。9巻の感想、ちゃんと書かなきゃなぁ。
あと、カラスヤサトシ「おのぼり物語」もよかったです。「げんしけん」にもどっぷりはまりました。「よつばと!」はどの巻も神なのであえて対象外ということでw


アニメは「劇場版パトレイバー」の2作目。非エンタメの度肝を抜かれる作品で、映画館で見た人はどう思ったのだろうとそれが気になりましたw これは一度見てすべてを理解できる作品ではないよなぁ。それはともかく、10年以上も前の作品でありながら、まったく古さを感じさせないテーマで、押井監督は何年先を見て作品作っているんだと驚かされます。そして、アニメーションならではの映像の迫力を存分に感じることができました。
あとは最近20話以上を一気に見た「電脳コイル」。世間での高評価も納得。こういう、世界観がしっかりしている作品ってやっぱり好きなのよね。最初は不可解に思えた様ざまな設定が徐々に明かされていく快感!後半で「コイルズ社」という単語が出てきてから、やっといろいろと腑に落ちて、うれしかったです。
ちなみに、現在進行形で見ている「とらドラ!」は、今年放送されたアニメでは一番かもw


ノンフィクションは、懸案だった佐藤優木村元彦をやっと読めたのが何よりの収穫。しかもすげぇ面白かった。木村元彦「悪者見参」は世界の悪者にされたセルビア人達の「空爆前」から「空爆後」を見事に描いた作品で、これと「戦争広告代理店」は世界的に見ても旧ユーゴを知る上で貴重な作品ではないかと思います。そして、旧ユーゴの民族問題は、現在でも何も解決されていない…。
佐藤優「自壊する帝国」は、旧ソ連事情を知る上でもよかったですが、個人的には佐藤優という異形の外交官の青春期として、前半部分が楽しかった。「私のマルクス」でもこのあたりについて書いているようなので、文庫化したら即読みたいところ。
あと、メディア系の学科で学んだ身としては、中川一徳「メディアの支配者」もやっと読めたという感じ。卒業して1年目くらいに出版されて、その頃は完全にノンフィクション離れていて読めなかったのよね。今年久しぶりにノンフィクションにも手を出せたことで、読書の幅が広がりそうです。
竹熊健太郎「箆棒の人々」忘れてたw 全然知らない人たちのインタビュー集だったにもかかわらず、とても面白く読めました。昭和史はやっぱり面白い。


以上、今年の印象に残った作品をザッと書き出してみました。ほかにもあった気がしますが、とりあえずは今思い出せる範囲内ということで。今年の更新はこれで終わりかな?来年も書ける範囲で感想書いていきますんで、暇なときにでも覗いてやってください。