「甲子園が割れた日 松井秀喜5連続敬遠の真実」

1992年夏、星稜vs明徳義塾。怪物・松井との勝負を避けた明徳に全国から非難の声があがった。球史に残る「あの試合」から始まった、それぞれの葛藤。15年を経て吐露されたその心情とは? そして松井を世界へと押し上げた“こだわり”とは何か? 球児たちの軌跡を丹念に追った、人間味溢れるスポーツドラマ。


野球は見るが甲子園は見ない、というスタンスの私ですが、それでもこの作品は興味深く読むことができました。松井に対して5連続で敬遠し、すっかりヒールになった当時の明徳の選手・監督を取材して、彼らがどのような気持ちであの試合に臨んでいたかを明らかにした作品です。著者は、明徳の選手がインタビューでこぼしたとされる「甲子園なんてこなければよかった…」という発言を新聞で目にして、彼らの気持ちを汲んでやりたいと考えてこの取材に着手しました。


前提として、明徳の選手達があの試合で心に傷を負っている、監督の指示がなければ正々堂々と松井と勝負してみたかった、という見通しを立てて取材を開始したところ、これがどうも様子が違う。明徳の選手達と監督は強い信頼関係で結ばれており、選手達は5敬遠という作戦について、星陵に勝つための「戦略」であることを十分に理解していたのです。あの試合で傷ついているどころか、誇りに思っていると言い切る選手までいる。では、「甲子園なんてこなければよかった…」という発言はなんだったのか…。それは最終章「真相」で明かされています。どこかの記者が、選手を誘導するような形でこの発言を無理やり引き出したのではなかろうか、というのが著者の答えです。メディアが甲子園に期待するいびつな「正々堂々」の価値観が、明徳の選手達があの試合を後悔している物語を作り上げてしまった、ということなのでしょう。


さて、私は著者の取材のスタンスにはとても好感を持ちました。取材を進めるうちに、最初に描いた仮説(明徳の選手達は星陵戦を悔いている)と異なる証言が出てきたため、この作品はもともとの問題意識(明徳の選手達の気持ちを汲んでやりたい)とはかなり異なる内容にならざるを得なかったと思います。しかし、それでも丁寧に取材を続けたことで、過度な「正々堂々」イズムという甲子園の問題点が見えてきました。この取材スタンスは、自分達の作り上げた甲子園の価値観に縛られて、「甲子園なんてこなければよかった…」という発言を無理やり引き出した当時の記者達とは一線を画しています。というか、そのような取材を行った記者達への皮肉をこめて、著者はあえて取材過程まで描いているのではないかという見方もできます。…それは考えすぎかw とにかく、最初に立てた仮説を覆す情報に対して紳士に向き合えるというのは、中村氏が優れた記者であることの証ではないかと思います。


そんなわけで、なかなかの良作でした。なお、この感想では特に触れていませんが、当時の明徳、星陵の選手達の「その後」の姿が見えてくるのも、この作品の魅力の一つではないかと思います。あと、松井って本当に人格者だよなぁ…ってのが伝わってきますw