「恋文の技術」

恋文の技術

京都の大学から、遠く離れた実験所に飛ばされた男子大学院生が一人。無聊を慰めるべく、文通武者修行と称して京都に住むかつての仲間たちに手紙を書きまくる。手紙のうえで、友人の恋の相談に乗り、妹に説教を垂れ―。


今まで読んだ森見氏の作品が「太陽の塔」「四畳半神話体系」「夜は短し歩けよ乙女」の3冊だという友人の放った一言。「モリミーの話はどれも同じだよね、面白いけど」。同じものしか読んでいない私としても、まったく同感でございますw


で、今回の「恋文の技術」もやっぱり同じ話でございましたw 主人公が暮らしているのが京都大学ではなく石川県の七尾なのだけれども、京都の大学から実験所に飛ばされたから七尾に住んでいるというだけで、もともと暮らしていたのは京都。しかも、主人公の守田が七尾から京都の友人や先輩などに送りつけた手紙の文面という体で書かれているため、やっぱり京都の話が中心になるんですよ。主人公である守田の性格も、ひねくれもので、片思いをしていて…というところもいつもどおり。それでも面白く読めるのは、もはや芸の域に達しているユーモアにとんだ回りくどい表現の賜物でしょう。そして、毎回「見せ方」を変えていることも読者を飽きさせないポイントになっているのではないでしょうか。以下では、最初に挙げた3作品と今回の作品について「見せ方」に注目して書いてみます。


太陽の塔」は「京都、ヒネクレもの、片思い」の森見節がもっともストレートに書かれた作品で、主人公の一人称で話が淡々と進んでいきます。私はこの作品に一番初めに手を出したのですが、正直よみづらかった。おそらく、森見氏の独特の表現になれていなかったこともあるとは思いますが、見せ方がストレートな分、ちょっと引いてしまったのでしょう。なんというか、ストーカー的なところとか、ひねくれた表現とかを一人称で延々とやられるとちょっと辛いものがあったw


次に読んだのが「夜は短し歩けよ乙女」。「太陽の塔」と同じプロットですが、こちらは主人公の一人称ではなく、ヒロインである「黒髪の乙女」からの視点で描かれたパートが半分を占めています。この乙女の視点が入ることで、同じような物語でも、雰囲気が男臭いものが一気にかわいらしいものに変わるんですよ。で、実際に「黒髪の乙女」が可愛いw


次が「四畳半神話体系」。今度は同じプロットを「平行世界」を使って描いています。すなわち、大学1年時に違うサークルに入った場合、という設定で4つの物語を描きます。すべての平行世界で登場人物がほとんど同じ、展開は違えども結論はほとんど同じ、そして表現もわざとコピー&ペーストを多用するという、かなりトリッキーな見せ方をしています。しかし、1つ目の世界で登場した小道具が3つ目の世界にでてくるなど、遊び的な要素も満載で、読者が楽しめるよう様ざまな工夫がなされています。


そして「恋文の技術」。あらすじにあるように、主人公の守田が京都の友人へ書いた手紙、という形式で物語が進んでいきます。こういう設定の場合、普通は往復書簡の形式になりそうです。しかしこの作品は、守田が送った手紙へきちんと返事はきている(と言う設定)のですが、その内容を読者に見せないで延々と守田の手紙だけを見せる形で物語を進めていきます。なかなかトリッキーですね。この形式だと、こちらは文通相手のことを守田の主観(手紙)からしか想像できません。かなりキャラクターが濃いであろう文通相手たちの行動を直接見たいなー、とも思うのですが、これはこれで想像の余地があり面白いですね。
また、手紙形式であることをうまく利用しているのが9章の「伊吹夏子さんへ 失敗書簡集」。守田がヒロインある伊吹さん宛てに書こうとして失敗した恋文を集めたという章で、失敗作のラブレターが爆笑もの。失敗作には必ず「反省」がついていて、なぜこんな手紙を書いてしまったのか自己反省するのも面白い。そして、この成果を活かして書かれた最後の手紙を読むと、やれば出来るじゃないか守田!などと思ってしまうのです。


以上のように、森見氏の作品は「同じような」(失礼)物語を書いてるからこそ、見せ方に工夫/こだわりがあるのだと思います。だから、どの作品も面白く、読者を飽きさせないんですね。これからも「同じような」物語をいくつも書かれるのだろうなぁとは思いますが、それをどうやって見せてくれるのか、その「見せ方」にに期待したいと思います。
…なお、「きつねのはなし」や「有頂天家族」などはまだ読んでいないのですが、既読の作品とは違う雰囲気の作品なのかな?と思っています。時間があったらいつか読んでみたいと思います。


追記。

「見せ方」以外にこの作品で触れておかなければいけない重要な点が。それは「おっぱい」についてやたらと書かれているということw 一つの小説の中で、これだけ「おっぱい」という単語が連発されている作品はなかなかないのではなかろうか。おっぱいがいかに男の冷静な判断力を鈍らせるか、なぜおっぱいに魅了されるかなどについてとくとくと語られており、このパートは爆笑ものです。電車でこの作品を読んでいたときは、自意識過剰により回りも視線が気になるほどでしたよw まぁ、これだけおっぱいおっぱい言いながらも、うまい具合に表現を「いやらしく」しないのが森見氏のうまいところなんですよね。だから女性読者にも人気なんだろうなぁ。